小学校の時、週末になると祖父母が泊まりに来るという生活が定着していて、毎週おじいちゃんから300円、おばあちゃんから300円のお小遣いを貰っていた。親には一度もお小遣いを貰った事がない。私は週末が楽しみだった。祖父母がいる時は母も怒らない。
まだ小学生の時から、おばあちゃんがいつも私に言った言葉がある。
翡翠ちゃんはママとは違うんだから、ママの言う事を聞いてはいけません。
翡翠ちゃんみたいな子は、いつか必ず男に泣かされる羽目になる。
尽くすだけ尽くして、ボロボロになって捨てられるのよ。
だから絶対男に近付いちゃダメよ。
誰も好きになってはダメよ。
誰ともつきあっちゃダメよ。
かならず捨てられて泣くことになるからね。
翡翠ちゃんにはママみたいな事は出来ないんだから、ママが何を言っても聞くんじゃありません。
男を頼りにしちゃダメよ。
勉強して一人で生きていけるようにしないと。
おばあちゃんは、私と2人になるとよくそう言っていた。
だってママが勉強するなって言うよと私が聞き返すと、「だからママの言う事は一切聞いてはいけません」と言った。
でもママの言う事聞かないとぶたれるから。
私がおばあちゃんにそれを言ってしまった事で、母は激怒してそれまでで最高に辛いお仕置きをされた。それから私は打たれる事は誰にも言ってはいけないと知った。
おばあちゃんは妹には私に言うような事を言わなかった。
妹は頭がいいし、危険を感じ取る能力があるから大丈夫なんだって。
私だけが、いつか男に捨てられるらしい。誰でもすぐに信じて好きになってしまい、何でもしてあげるようになるから、飽きられて捨てられるんだそうだ。
確かに私は男でも女でも関係なく、大好きな人には何でもしてあげたいと思ってしまうが、それは誰だって同じだと思うし、第一そんなにすぐに誰でも好きにならないし、私だけそんなひどい目にあうなんて信じてはいなかった。おばあちゃんは心配性すぎると思っていた。
たぶんおばあちゃんは、最初の結婚相手(母の父親)に去られた経験から、男性不信になってしまったんじゃないかと思う。本当のおじいさんは旧帝大出のお坊っちゃんで、おばあちゃんとは大恋愛の末、駆け落ち同然の結婚だったらしい。おばあちゃんは東京女子高等師範とやらを出て教員をやっていた。それは現お茶女のことらしい。
私はおばあちゃんの悲恋を代わりに成就すべく、幼少から周到にすり込み教育をされて来たような気がする。おばあちゃんは私をお茶女に入れて、東大出のお坊っちゃんと結婚させたがっていた。その一方で、結婚せずに1人で生きた方がいいとも言ったし、東大の人だけは止めなさいと言う事もあった。日によって違う事を言うのは、おばあちゃんの心が揺れていたからだろう。でも東大(帝大)にこだわりがあったのは確かだった。
おばあちゃんは死ぬまでずっと、去った男を忘れていなかった。時々哀しそうにしているおばあちゃんを見て、何度も心が痛んだ。
おばあちゃんは5人兄弟の末っ子で、甘やかされて育っていたし、若い頃は奔放(伯母さんはハイカラという言葉を使った)だったと聞いた。明るくて無邪気で誰からも愛される人柄だったとも。あんな憂い顔をするような子じゃなかったのにと、伯母さんは泣いた。
あれほど私に結婚するまで処女でいないとダメだと言ったのは、もしかしたらそれが原因で最初の結婚が上手くいかなかったとか、そういう事なのかな?とも思ったけれど、そこまでは聞けなかった。
おばあちゃんが、私のことを不幸になると思い込んでいたのは、私の性格がおばあちゃんに似ていたからだろうか。なんで妹には思わなかったんだろう。
高校生になってから、再びおばあちゃんと暮らす機会が来た時に、また同じ事を繰り返し言われたので、何でと聞いてみた。
おばあちゃんは私に、ノロマで鈍くてお人好しだから絶対いつか騙されるんだと言った。
あまりにひどい言われようだ。私はノロマじゃないし、鈍いかもしれないけどお人好しでもないのに。
妹は計算して生きているから大丈夫だと言うが、私だっていつもちゃんと計算してるよ。
おばあちゃんは、美しすぎる女は必ず不幸になるという信念を持っていた。それで言ったら、美人じゃない私より美しい妹の方がずっと不幸になるはずなのに。
若い頃のおばあちゃんは絶世の美女だったが、それが禍いの元だったのだと言って、私が物心ついた時には、故意に化粧をしない人になっていた。美人過ぎてもいけない、賢すぎてもいけない、程々に可愛く程々に賢い方が幸せになれるのだそうだ。
祖母の若い時の写真を見たが、母など足下にも及ばぬほどの美人だった。白黒写真のせいかもしれないけど、女優みたいだった。母もそれは認めていて、母が子供の頃のおばあちゃんのモテぶりを聞かせてくれた。
昔の時代に既婚で子持ちの女性に言い寄る男がそんなに大勢いたとは、驚くべき事だった。美人の遺伝子は世代と共に劣化したらしい。ほんの少し妹が受け継いだが劣化しているのは確かだ。
母に言わせると、おばあちゃんは賢すぎた。馬鹿のフリが出来なかった為に、いつも気を抜けず疲れ切った男に去られた。去った男は、容姿も人並み以下で頭も悪いが、やすらぎを与えてくれる女と再婚したらしい。母が5つの時だった。
祖母はその後どの男を選ぶべきかの選択を誤った。そして情が深すぎた。生活する為のつなぎであった今の祖父に情を移したのが、不幸の始まりだったのだそうだ。(つまり母の言い分は、おじいちゃんをさっさと捨てて、常に言い寄る男の中から最高の人に乗り換えるべきだったという事だ)
母の話では祖母は不良タイプが好きだったらしい。最初の結婚の時も、親戚中が、あんな遊び人と結婚したら絶対不幸になると言って反対したので、駆け落ちしたとか。
そして今の祖父も、当時としては背も高く見た目のいいヤクザだった。仕事も自営で博打も打ち、辺りを取り仕切ってアニキと呼ばれていた。
今は本当にいいおじいちゃんだけど、その頃は年中喧嘩ばかりしていて、ヤクザ同士の抗争に巻き込まれて祖父の弟が刺殺されたり、祖母も危険な目にあったりしたそうだ。
2人は幼い母を残して夜な夜なダンスホールに出かけて行き、近所中のひんしゅくをかっていた。(当時ダンスホールなどに行くのはヤクザと娼婦だけだったとか。本当かどうかは知らないけど)その頃祖母は投げやりで、子供(母)のせいで男が去ったと思い込んでおり、母に冷たく当たったという。
不幸の連鎖反応は私にまで及んでいる。中高の劣悪な環境は、おばあちゃんがおじいちゃんを選んだせいだと母は言った。母もまたそのせいで劣悪な環境に放り込まれ、私と同じような経験をしたのかもしれない。そこには学ぶべきものがたくさんあったので、私にも同じ環境を与えたのだと思う。獅子は子を谷底に突き落とすと言うが、母の教育は獅子に似ていた。
母は、賢すぎる女は必ず不幸になると言った。女は賢さを隠さなければならず、美しさだけを際立たせる必要があると信じていた。だから、頭はよくなければならないが、高い学歴は邪魔になる。
自分より学歴が高い女と結婚しようと思う男はいないし、学歴が低くても幸せにしてくれる男はいるからだそうだ。それを貫く為には賢さを隠す強さが必要だそうだ。
日大程度にしておいた方が選択肢が広がるのにと言っていたが、別に無理強いはしなかった。でも早稲田に行ったら、早稲田か慶応か東大からしか男を選べないし、学歴の高い男は大抵鼻持ちならない嫌な奴ばかりで、思うように動かしにくいと忠告する事も忘れなかった。
それから、ろくでもない男に情けをかける必要はないとも言った。
母は彼に情けをかけた私の事を、おばあちゃんの不幸を再現していると思っているかもしれない。
母もおばあちゃんも共通して言ったのは、男を本気で好きになってはいけないと言う事だった。これはおばあちゃんが最初の結婚相手を忘れられずに、一生引き摺っていた経験から来る言葉なのだろう。その姿を見て育った母も、その通りだと思ったに違いない。
でも母は、恋こそが女を美しくするのだから、目の前の男ではなく実害のない遠くの人を想いなさいと言った。その教えを守るつもりはなかったのに、知らぬ間に忠実に守ってしまっているのは、一体どういう訳だろう。
おばあちゃんは、私が結婚してから、この人は大丈夫だと言って安心したみたいだった。
おばあちゃんが注意し続けてくれたから、私は無意識に捨てるような人を選ばずにすんだのか、と思っていたけど、結婚してみると、夫は思ってたような人じゃなかったみたい。
やっぱり最初から1人で生きていくべきだったのか。
私の男性不信と貞操観念は、みんなおばあちゃんにすり込まれたもの。たぶんそれがなかったら、私は奔放に生きていたんだと思う。
本当の私を解き放して。
時々そう思う事がある。私を縛っていたのは、母ではなくむしろおばあちゃんなのかもしれない。時折、夢にまで出て来て、私に指示を与える。
思えば幼い頃から、二人の女親からは両極端な男についての教育しか受けていない。他の子が勉強しなさいとか、お友達と仲良くしなさいと教えられている時、男を愛してはいけないとか、捨てられるから男には頼るなとか教えられていた私って……少しくらい頭がおかしくても仕方ないんじゃないだろうか。
